The Pandemonium of Images

 

Masayuki Tanaka

 

In the past, around the time when communication theories based on the structuralist notion of semiotics were popular, communication was said to be founded on code. A code was share between sender (speaker) and a reciever (listener), and it was assumed that the sender's signals, based on that code, were deciphered and their meaning understood by reciever. But this static and somewhat simple model is no longer taken as an article of faith. above all, this is due to the fact that code alone is not the determining factor in deciphering signal (or sign). For example, as suggested by the term "context effect." even when a sign or signal is the same. in a different context, it's meaning can change dramatically. Moreover, the reciever is not merely a passive entity but plays an active role in producing meaning in association with certain context. Thus, the meaning contained in a sign or signal is closely connected to a particular place, and according to what is created on each occasion, the formation of meaning might be seen with only a slight exaggeration, as a kind of "incident" or momentary event. This way of thinking offers an important theory for explaining the formation of meaning in sign or signal, but at the same time, it also indicates the possibility that no meaning has been formed, poses questions regarding what the sign or signal represent, and suggests the possibility of suspending it's decipherment (for example, in circumstances in which a context that should be related cannot be determined).

 vision is in the place a fregmentary event that is linked to a particular moment, and the difficulty of tailoring these momentary (and fragmentary) "incidents" to a single painting containing unified scene is problem that artists have faced ever since the emergence of Cezanne. And while signs and signals produce a diverse range of meanings their production can also be discouraged, and a single visual image can be received, developed, and confused in a variety of ways depending on many different factors. Ishii Tomohito takes these problems as the poin of departure in his work. When an image is prodused from specific visual date, it is by no means constricted to one deducted, integrated image through a previously determined category. By right, images should develop infinitely like a diverse range of scenes reflected in a "compound eye" If these images are further transmitted to other people in the process of communication , the diversity of their development is further accelerated. And if noise gets mixed into the communication. the images may also become confused. While confusion arises, this realm of images continues to develop without a telos (destination) for any decided images. Ishii's works invite the viewer to this type of world, thrusting us into a pandemonium of visual images without any presumptions regarding the formation of an integrated image.

 

αM Project - Complex Circuit press release. 2011

 

イメージのパンデモニウム 

 

田中正之

 

かつて構造主義的な記号論に基づくコミュニケーション理論が一般的であったときには、コミュニケーションの成立を支えているのはコードだと考えられていた。送り手(話し手)と受け手(聞き手)との間にはコードが共有されていて、そのコードに基づいて送り手の信号が解読されて受け手がその意味を理解する、と考えられていた。しかし、この静的でいささか簡素なモデルは、現在ではもはや素朴に信じられてはいない。何よりも信号(あるいは記号)の解読にあたっては、コードのみが決定因子になっているわけではないからである。たとえば「文脈効果」と言われるように、ひとつの同じ記号ないし信号であっても、文脈が変われば、その意味するところはダイナミックに変わる。受け手の側もまた単なる受動的な存在なのではなく、何らかの文脈との関連付けを行うことによって能動的に意味の産出に加わっている。とすれば、ある記号や信号が持つ意味は、特定の場所と時間とに強く結びついて、そのつどそのつど作り出されるものだということになり、意味の成立とは、やや大袈裟に言えばひとつの「事件」とも言えそうな瞬間的な出来事となる。このような考え方は、記号や信号の意味の成立を説明するための重要な理論だが、同時にまた、意味が成立しない可能性、記号や信号が何を表しているのか、その解読が宙吊りとなる可能性を示唆してもいる(たとえば、関連付けるべき文脈が決定できない状況)。

視覚とは、そもそも特定の瞬間に結びついた断片的な出来事であり、この瞬間的(で断片的な)「事件」を統一的な画面を持った一枚の絵画へと仕立てあげることの困難は、それこそセザンヌ以降絵画に突きつけられてきた問題である。そして、記号や信号が多様な意味を生み出しうると同時にその産出が挫折することもありうるのと同様に、ひとつの視覚的映像もまた、多様な要因に応じて多彩に受け取られ、展開し、混乱しうる。石井友人の作品は、何よりもこの問題を出発点としているように思われる。ある視覚的情報からイメージが作り出されるとき、そのイメージは決してひとつではありえず、あらかじめ定められた命法によって演繹されるようなひとつの統一的イメージへと収斂することはない。まるで「複眼」に映る多様な像のように無数のイメージに展開しうるはずだ。そして、そのイメージがコミュニケーションのなかでさらに他の人々へと伝達されていけば、さらにその展開の多様性は加速していく。伝達のあいだにノイズが混入し、イメージが混乱することもありえる。ひとつの決定的イメージをテロス(目的地)とすることなく、混乱を引き起こしつつも展開を続けるイメージの世界。石井友人の作品は、そのような世界のなかへと人々を誘い込み、統一的イメージの成立など想定しようもない視覚像のパンデモニウム(大混乱、無法地帯)を突き付けてくるのである。

 

 αM Project「複合回路」プレスリリース 2011年

 

 

 

 

The Compound Eye

 

Tomohito Ishii

 

It Is impossible to simply preume that images are based on visibe entities (anything that is presented). The visual world is constructed out of date that emanates from the outside and is translated inside And the translation that occurs within the body from the eye to brain can be linked to the transformation of visual date into an image. In the concept of of "image and signal" designed to be interpreted through a set of two picture, a photographic reproduction can be seen as an objectified vision achived through a painting, and a conscious contrast between a "visuality associated with an instantaneous response derived from light and color" (signal) and a "visuality that leads from recognition of an image to the structuring of a space" (image). On a visual leve, the qualitative difference between the objectified element of "image" and "signal" are suggest by comlexity of visiable date and the potential that exists for it's translation.

In addtion I have adopted the "compounf eye" as an approach to dealing with a complex information environment. The "compounf eye" is a primitive metaphor for the acts of seeing and feeling. I see it as something that foreground the issues of the signal-like nature of visual information and it's reception, and as something that synchronizes with physical sensation of receiving a degital signal. And metaphor of the "compound eye" is also connected to the mystery of visual complexity that is contained within the "image/signal".

In facing a painting, I bring the delicate touch of making contact with the world. I'm attempting to express a pictorial vision through my own type of philosophical model.

 

αM Project. Complex Circuit artist statement. 2011

 

複眼  

 

石井友人

 

イメージは見えるもの(あらゆる表示されたもの)を単純に前提とすることができない。視覚世界は、外部からの情報入力と内部における情報翻訳によって構成される。そして、身体における眼→脳への翻訳は、視覚的データ→イメージへの変換と関連付けることができる。

二連画による対解釈をコンセプトとした「イメージ/シグナル」においては、絵画による写真再現を、客観化された視覚として捉え、「光と色彩から来る瞬発的な反応に属する視覚性」(=シグナル)と、「映像認識から空間の構造化へと向かう視覚性」(=イメージ)とを、意識的に対比した。対象化された「イメージ/シグナル」という視覚レベルの質的差異は、可視的情報の複数性とその翻訳可能性を示唆するものである。

その上で複雑化した情報環境に対する一つのアプローチとして「複眼」というモチーフを採用した。「複眼」とは見る事感じる事の原初的メタファーである。「複眼」を視覚情報の信号性とその受信という問題を前景化させるものとして考え、そして、デジタルな信号の受信を身体感覚とシンクロさせるものとして捉えた。「複眼的」という比喩はそのまま、「イメージ/シグナル」がはらむ可視的複数性の謎へと接続するだろう。ペインティングに向かう際は、世界に触れているというデリケートな触覚を常に持っている。自分なりの思考モデルとして、絵画視覚の表現を試みている。

 

αM Project「複合回路」アーティストステートメント 2011年

 

 

 

 

アート解剖学

 

中井康之

 

観葉植物と帽子をかぶった女性が、明るい日差しの中見るものを迎え入れるような、さりげない日常の一コマを描いた作品と一見見えるかもしれません。とはいえ、その女性女性の表情を観察しようと目を凝らしても、それを読み解く事が出来る情報がとても少ないことに戸惑うかもしれません。さらに、高さ2メートル程のその作品に近づくと、より一層その茫洋とした表現の度合いは大きくなり、わずかにでも自然主義的な絵画を期待したものに対して不意打ちを食らわせるような色彩痕の集積が画面を覆っていることに気付く事になるでしょう。

見るものが作品の距離を保つ事によって、あるイメージを浮かび上がらせる芸術として印象派という動向がありました。明るい光に満ちている戸外の風景を表現するために、カンバスの上に原色に近い色を配置し、網膜上での混合を意図した手法でした。ただし、彼らの手法は感覚的であり、構築的な面が損なわれるといっては慣れて行った作家がいました。

それに対して、より論理的にその技法を整えようとした者もいました。その代表的な作家であるスーラは、フランスの科学者シュヴルールによる色彩論をはじめとして、当時の最先端の論理を取り込んで色彩分割をより先鋭化し、網膜上の混交がさらに精緻に行われるように小さな点の集積による点描法という技法を生み出したのです。ただし、そこで結実した芸術は印象派の作品が持っていた躍動感ある作品とは異なり、静謐で古典的な風格をも感じさせるような表現を成立させました。

私が、石井友人の作品を見た時、最初に感じたのはそのような不思議な静けさでした。石井は学生時代から写真のような画像を題材に絵を描いていました。絵画に残されたモチーフとして写真を描いた作家にリヒターという作家がいましたが、石井は、写真と言う画像を現象的に分解する事によって、それがドットのようなデジタルの集積によって構成されることを認識し、それを再構成するような手法によって制作を続けてきたのでした。

石井は、現在の私たちの生活の中であふれている画像を分析的に読み解く事によって、この現実界を浮かび上がらせようとしているのかもしれません。そのような透徹した作家の眼が、日常的な光景に聖性を感じさせるような表現へと昇華させていったのでしょう。それはスーラが絵画の論理を外部に求めて到達した芸術と同様、拡張し続ける電子的視覚世界を象徴化するような行為が導き出した世界なのかも知れません。

 

 京都新聞「アート解剖学」2011年

 

 

 

 

「/」のトポグラフィー

 

桝田倫広

 

会場のいちばん奥には、白い花咲く樹木を描いた絵画が展示されている。その側壁には、発色の強い緑や赤を基調としたする線描よって描かれた荒いグリッド状の抽象画がある。一見、何の関連も見出せないこのふたつの絵画は、どちらも同じ写真を基に描かれたもので、ディプティック(二連画)、すなわち一対の絵画として並置されている。対象をより再現的に描いた前者は「イメージ」、その色彩と光を直感的に捉えた後者は「シグナル」名付けられている。

石井によれば、この両者の間は「解像度」の違いがあるのみで、いかなる質的差異もない。確かに彼の作品ではイメージであっても近くで見れば、絵画の集積と認識できるほど明瞭に残されており、イメージの中にシグナルが内在されているとも言える。一方、シグナルにおける式面と線描のざわめきの中から、私たちは元の参照源とは異なるイメージを引き出す事もありえるだろう。とはいえ、明らかに見た目の異なる一対の絵画をヒエラルキーなしに隣り合わせに置く事で、両者の差異が露になり、共通の参照源である対象の多義性が切り開かれる。

ある事象が多様な解釈に開かれること自体は、絵画に限ったことではない。だが石井の関心は、絵画言語において生じる解釈の多様性と、それが生じる場にある。たとえば”Window (plant)”は、鉢植えのある庭と思わしき光景が三つの異なる視点から捉えられ、フィルムのコマのように縦に繋ぎ合わされている。この作品では画面の地やモチーフの抑え気味の色調に比して、その上に置かれた鮮やかな色の斑点が、イメージの余剰として前景にせり出してくる。これによりイメージとシグナルとの関係に亀裂が生じ、平面であるはずの絵画は深みをもち、不透明な空間の厚みが私たちと絵画空間の間に現出する。この厚みこそ絵画形式特有の「窓」であり、私たちの既成概念や対象が拮抗し、諸差異の産出される場なのだ。

この場とは「S/s」(シニフィアン/シニフィエ)における「/」にジョルジョ・アガンベンが見出したものを思い起こさせる。アガンベンによれば「/」は両者の結合というよりもそれらを分かち隔て差異を産出する壁、あるいは亀裂であり、そこにこそ「意味作用の核心」があるという。とするならば、石井の目論見もまた、差異を過剰に生み出すことではなく、むしろこの差異を生み出す亀裂、すなわち不透明な空間の厚みを推し量り、意味作用の構造を開示することにあるのではないか。

こうした試みのために採用されたモチーフが植物であることは興味深い。なぜなら植物は枝分かれし無数の差異を生み出すばかりか、そこから種子を放出し、まったく別個の樹木(意味の系列)をつくることさえあるからだ。このような諸差異は主体の存在を単に転覆させたり否定したりするのではなく、むしろ連結と断絶を繰り返しながら、不鮮明なほどにもつれあう。こうした幾重にも折りたたまれた亀裂を捉えることは、並大抵のことではない。しかし、石井はこの途方もない現実と向き合うために絵画へと向かうのだ。

 

美術手帳「アートレヴュー」2011年

 

 

 

 

「故郷としての郊外」

勝俣涼

石井友人は以前、自身が生まれ育った郊外の空き地に穴を掘ったことがある。しかし過去の地層へと遡行するかに見えるその行為は果たして、ニュータウン開発によって失われた故郷を想像的に回復する、というノスタルジー的な目論見だったのかといえば、そうではないと私には思える。というのも、石井にとってはほかならぬ郊外こそが故郷であるからだ。郊外の典型的な描写として、「どこにでもある風景」というのがある。その無個性性は一面において事実だとしても、しかし風景や場所の記憶は、風景や場所それ自体に書き込まれるのではない。あくまで人のうちに宿るのだ。そこで生まれ育った者にとって郊外は、「どこにでもある風景」でありながら、特別な風景でもある。
この二重性を抱えた「郊外」の感覚こそが、石井の制作をノスタルジー的な感傷の意味充足から解放しているのではないか。郊外の拡大現象は、各々独自の文化圏として存在する多種多様な外部空間を均質かつ画一的な内部へと包摂するユートピア的運動であり、異質な土地に同化を強いる植民地主義的な介入ともいえる。石井が鉢植えの植物をたびたび描くのには、そうした背景がある。その環境固有の閉じた生態系を構成する自然のままの植物ではなく、人為的に作られた、「どこにでも移植できる」入れ替え可能な個体。それがまるで自画像のように描かれる。乱視的にズレつつ重なる輪郭は、その「作られた」構築物としての虚構性を、同期を失調させた線や面や色のデジタルな継ぎ接ぎも露わに教えている。むしろその虚ろさにこそ、リアリティがあるとでも言うように。

「未来の家」プレスリリース 2017年
 
 

The Suburb as One's Home Town

Ryo Katsumata (art critic)

Tomohito Ishii once dug a hole in an empty lot in the suburban town he grew up in. What may appear to some as an act of digging down to reach earth's strata of yesteryear as a nostalgic scheme to imaginatively recover the home town he lost when development of the new town began, I, for one, believe that was not the case. For Ishii, it is none other than the suburb that is his home town. A typical description of a suburb is that it's scenery is indistinguishable from other suburbs. While, in a way, the nondescript nature of suburbs may be true, the memory of a scenery or a place is not etched into the actual scenery or place itself. The memory resides in a person's home. While the scenery may indeed be the same with other suburbs, to the person growing up there, it is also special. 

Perhaps this impression of the suburb with its duality is what has unshackled Ishii's creative process from having to fulfill purpose into nostalgic sentiment. The phenomenon of the expansion of suburbia can also be seen as a utopian movement of taking the diverse external spaces existing as individually distinct cultures and absorbing them into a homogenized yet unified inner part, an intervention similar to the colonization of foreign land and forceful assimilation. That is why Ishii often draws potted plants. Instead of drawing plants in its natural form, as enclosed ecosystems characterized by their environment, he draws artificially-produced plants, as interchangeable substances that can be transplanted anywhere. And the plants are drawn as though they are self-portraits. The distorted outlines are misaligned yet overlapping, guiding imagination as a produced structure, showing the rawness in its digital patchwork of lines, surfaces, and colors lacking synchronization. It is as though it is saying reality can be found in that hollowness. 

“House of future” Press release 2017

「卵に対する植物の応答」がアートになるとき

 

大久保美樹

 

作品《卵に対する植物の応答》(La réponse de la plante à l’oeuf)が、パリを拠点とするアートアソシエーション「ILYAURA( イリオラ)」とパリのアートスペース「The

Window」のパートナーシップを記念して発表された。2013年10 月5 日、第10 回ニュイ・ブランシュ・ア・パリの夜である。

年に一度、パリ中の美術館やギャラリーが眠らないその夜は、メイン会場の一つ、セーヌ川河畔をまばゆい光の中に包んだ蔡國強の無数の打ち上げ花火のように、パリのあちこちで新しい出来事が生まれては消えて行った。パリの北東に位置するレピュブリック広場を一面の濃霧で覆い尽くした中谷芙二子のインスタレーションもそのような出来事の一つである。突如出現した巨大な中谷の「霧彫刻」は、普段見慣れたレピュブリック広場という空間を真っ白なもやの中に包み、生成され続ける霧は次第に深みを増してゆく。塗り重ねられた白さの向こうに世界の裂け目を創り出し、中谷の霧は、訪れる人々を「今、ここではない場所」へといざなう。

作品《卵に対する植物の応答》とは、ここに在るはずのない窓を創出し、時空間の裂け目に遭遇するすべての人々を未だ嘗て見たこともない関係性の中に投げ入れるための「装置」である。アートスペース「The Window」を取り巻く環境全体を「複数の大きな窓のある場所」に見立てるリアルタイムの映像インスタレーションである本作品は、フランス在住の二人のアーティスト、石井友人とマノン・ハロワ(Manon Harrois)の相互的な対話の中で構想された。筆者がイベント参加者と共同構築した「不思議なケーキ」の周縁が一つの中継点となり、そこに設置されたコンピューターが、異なる場所をオンラインで繋ぐ。フランスのランスとストラスブール、日本の東京と、2013 年第3 回目のニュイ・ブランシュが開催された京都という四都市がパリの「The Window」と結びつく。「The Window」は、正面が窓、三面が壁であるが、窓となる。それぞれの都市には、こちら側にいる私たちと対面し、抽象的、哲学的、現象的あるいは身体的な即興ダイアローグを繰り広げるパフォーマーの姿がある。

遠隔にいるパフォーマーの一人、マノン・ハロワは、スクリーンの向こう側で、鳥たちの母親がしばしばそうするように、黄色く透き通った無精卵を自らの体温で温める。ただし、卵は既にそれを匿うものとしての殻を失い、ぬるっとした脆弱な黄身となりハロワの口の中で温まり、もう一度産まれ落ちる。この行為に呼応して、ギャラリー内に佇む大きな観葉植物の鉢植えには再び殻に守られた真っ白い卵が産み落とされることになる。ハロワが産み落とした脆弱な黄身は、ハロワと私たちを隔てる境界を越境するために殻を纏い、形而上的に植物に引きの向かい側と正面より向かって左側の大きな二面の壁に四都市のいずれかが投影され、その新しく開かれた窓が、異なる場所を共時的に行き来する境界面受けられたと解釈できる。鉢植えの観葉植物は、石井の最も重要な絵画モチーフの一つであり、数年来同居する存在である。石井は、この植物が次々に引き受けてしまう空洞の存在、白い殻の無精卵のそれぞれに、生命としての「印」を与え、鑑賞者のもとに注意深く送り届ける*5。卵は時々潰れ、黄色の絵の具と化し地に流れ、あるいは誰かの掌の内側にそっと届けられる。

東京とストラスブールに接続された窓では、色彩と形に関する記号的• 抽象的対話が繰り広げられる一方、京都に開かれた窓では、産み落とされたが誰にも届かなかった無数の卵を救済するように、ひとつずつを丁寧に箸で掬いだそうと無為の試みに没頭する一人の女性の姿が映し出される。女性の試みは一向に成功しないが、彼女はそれをすることを止めはしない。彼女は、生きていなかったはずの卵が、ごく時々は生命を伴って鑑賞者のもとへ届くことがあったように、無為に見える彼女の救済が、いつか有りもしないような奇跡に繋がっていると始めから知っているのだ。

「卵に対する植物の応答」とは何だったのか。ニュイ・ブランシュの夜に散りばめられた星の数ある物語の中で、それが思い出されるのはなぜだろう。それは、作品《卵に対する植物の応答》の経験が、私たちを結ぶからである。それは、夢から醒めたとたんに手から失われてしまう、燃え上がるような興奮ではなく、私たちの中からいなくならず、私たちを静かに温め続ける何かになる。時と空間を越えて、私たちの手の中に届けられた「卵」のように見えるものを、私たちは温めようと努力する必要はない。

それは、ただそこに在り、卵に対する植物の応答があったということを、私たちに証明し続けてくれる。無論、ニュイ•ブランシュはアートのお祭で、お祭とは艶やかな非日常である。文字通り跡形もなく消失する一夜の夢は美しい。一方、新たな関係性の提案とそれを可能にする装置の構築が織り成す一見刹那的な物語が、私たちの現実の世界を全く塗り変えてしまうことが時々ある。アートのスペクタクルは本来そのようにあるべきで、それはまさにニュイ・ブランシュ・ア・パリが遠く京都への伝播に成功した由縁ですらあると言えるのだ。

 

パラ人 「Parasophia au Monde」2014

 

 

 

Body's History

 

Tomohito Ishii

 

Due to rapid development of our environment of information and resulting homogenization of diversity in values, we may  have come to an illusion or an empty sense of reality.

It  makes us feel as if the whole existence of human being consisted of multiple kind of information, and we were surrounded by a fake reality, a reality made of paper.  It is true in a sense, and it perhaps will be.

One of thoughts I have had for ten years is that, though we were surrounded by a fake, paper-made reality, we find in fact a raw, naked reality when we come around and see the other side of the fake one.  As a matter of course, humans have body and the surrounding environment is made of physical matters.  The reason of my way of description in spite of this face is that we humans feel in some level the desire or necessity to get back the reality, or we actually feel the reality.

When I understand my painting as a representation of such a desire, I can say it is a reconstruction of my personal catastrophe in reality.  It is an act of taking the fake reality apart, and reconstructing it piece by piece again. 

Painting is the generation of images through the relation of the body and the material, and every image has its own touch. One of the strong motivation for me to paint is based on the fact that there is a large difference between images we find as already made and images generated by the body.  The bodily aspect in painting derives from the fact that the body itself is a medium with its own memory and history.  My body contains my own history, the history of my parents, and all the past ancestors.  That doesn't mean I own these histories as mine (for example, in the form of memory as a brain function), but this idea of the body's history is an important element when I practice painting.

The central interest in my painting is the relation of the bodily aspect characteristic of painting with the collective memories contained in various existing images (found in photographs and movies, for example).

My way of creating works has been based on the fundamental act of "painting what I see."  Images I use for my painting can be classified to several groups such as photos I took myself, existing images I found on the internet, and the ones I created through digital processing.

All existing images keeps a trace and a fragmented piece of time which used to belong to what once existed in the past.  I can say that I have an access to others, society or fragments of historical process.  I put together these fragments together, find a new relationship between them, and translate various meanings of the images and information I gain through the visual perception into painting, which is another language made of vision and the body.

Reconstructing memories is one of my important themas. I would like to quote my brief artist statement from one recent exhibition in which I proposed the concept "dreams".

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The exhibition title "Day Dreaming" means an accidental and lyric experience of imaginary association issuing from memory caprices. For me, this title "Day Dreaming" supposes the ensemble of massive images such as scenery after a mild flood washing everything away, where there exist no more rational time series, existing significations and attributions and possessions, but remains a certain fluid and floating possibility (or possible way) to reconstitute a new memory.

It is through this process consisting of meeting of images gathering and dispersing each other, as well as establishing  superimposed intersections of memory and oblivion, making us languorous with an apparition of a mirage in the summer.

You will find yourself alone in the day dreaming, feeling an odd sensation between active and positive experience regarding our imagination.

(from the artist statement of "Day Dreaming" Paris Rivoli 59.2013)

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One of the most important passion for painting, is, for me, to wonder how a human concerns the world.

Touching our surrounding again means nothing but an indispensable way to reconstitute the reality after a catastrophe. 

 

Artist statement. 2014

 

 

身体の記憶

 

石井友人

 

我々を取り巻く情報環境の極度の発達、或いは、それらがもたらす多様な価値観の均一化といったものは、ある種、空虚な幻想/現実を生み出したのかもしれない。

それはあたかも、人間の実存が多様な種類の情報により満たされ、情報そのものが本来持っていた独自の意味が空洞化した結果、我々の周りに広がっているのはもはや張りぼてのような現実にすぎないと宣言するかのようだ。

それはある意味真実であり、これからも多分そうなのだろう。

私が十年程前から考えていることの一つに、仮に、張りぼてのような外観が広がっていたとしても、少し注意して回り込んでみれば、その裏には吹き抜けの生の現実が存在するというイメージがある。当たり前だが、人間は身体を持ち、身の回りの環境は必然的に物質で構成されている。そうであるにもかかわらず、何故敢えてこんな記述をするのかと言えば、何処かで現実を取り戻したいという欲望や必要、或は、現実感を感じているからなのだ。その様な欲望の表象として、私の絵画を考えた場合、それは至って個人的なカタストロフ/現実の再構成と言えるのかもしれない。それはつまり、張りぼての現実を一度解体し、そのバラバラの断片を拾い集めて組み立て直すことだ。

絵画とは、身体と物質が関わる事によってイメージを生成する事であり、イメージは手触りを常に伴う。私にとって絵画を制作する一つの強い動機は、身体が生み出すイメージと既存のイメージの間に大きな違いが存在するという事に基づく。

絵画における身体性は、まず、身体そのものが独自の記憶/歴史を持った媒体であることに由来する。私の身体は私の歴史を持っているし、それと共に両親の歴史、更に繋がる先祖の歴史を保有する。それは、私自身が私の記憶(例えば機能としての脳の記憶)を保有するということ同義ではなく、絵画を描く際の重要な要素になっている。

私の絵画制作の中心的な関心は、その様な絵画特有の身体性が、多様な既存のイメージ(例えば写真や映像)の持つ集団的な記憶と関わることである。私は「視たものを描く」という基本的行為を元に、作品を作ってきた。絵画の基になる情報は、自分で撮った写真やインターネットなどにアップロードされた既存のイメージ、および、それらをデジタル処理して加工したもの、と幾つかの種類に分類することができる。

既存のイメージは全て、過去存在したであろうものの痕跡と失われた時間の断片を残す。私は、私自身の記憶の断片を頼りに、他者や社会、または、歴史的過程の断片にアクセスしていると言えるだろう。その断片同士を結合し繋ぎ合わせ、新たな関係性を見いだし、そしてイメージが持つ様々な意味と共に、視覚という固有の感覚が受信した情報を、再度、視覚/身体的言語として絵画に翻訳し直している。

私の絵画の主題として「記憶の再構成」が挙られるが、その一例として「夢」を問題化した最近の展覧会から、私のアーティスト・ステイトメントを引用したい。

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展覧会タイトルとして採用された「Day(s) Dreaming」とは、記憶の戯れからなるイメージの想像的な飛躍を体験する、という意味が込められている。「Day(s) Dreaming」とは、まるで緩やかな洪水の後の様な豊穣なイメージ郡を想定しており、全てが押し流され、既存の意味や時系列、あるいは所有関係を離れたイメージ群 (記憶)を再構成する、流動的な過程を含意しているようだ。

この流動的な過程 において、集合しつつ離散するあらゆる不可避的イメージの遭遇が、我々の思い出/忘却とが幾重にも交差する場所を作り出し、そこにはひょっとすると記憶に対する茫洋な空間(真夏の蜃気楼)が立ち上がっているのかもしれない。

あなたはこの真夏の白昼夢の空白の中にただ一人取り残され、想像することの能動的/受動的な経験に奇異な思いを馳せることだろう。

 (2013年8月 Paris Rivoli59 グループ展「Day(s) Dreaming」からの引用)

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絵画を描く契機は、如何に私が世界と関わっているのか考察することである。

世界に触れなおす事、それは、カタストロフの後の現実を再構成することに他ならない。

 

 アーティストステートメント 2014年

 

 

 

 

「わたしの穴」  

 

わたしの家のお手洗いのドアにはブルース・ナウマンの「Body Pressure」のインストラクションが貼ってある。

ナウマンは「できる限り強く壁に体を押し付けてみろ」と言っている。

正直に言うと、もはやわたしは壁にリアリティを感じない。

目に見えて対峙できる壁などわたしの前にはない。

水の中にいるみたいに、皮膚は全方向から圧力を受けている。

わたしの体はすでに全包囲されている。

穴を掘ろうと思った。

 

穴はわたしが立っているこの場所にあけられている。

そこでは風も吹かない。

わたしの呼吸がよく聞こえる。

意識の下の方にはきっと同じような穴が続いている。

その場所へ少しだけ帰るのだ。

 

 

 

「美術の穴」

 

美術というフィールドにそびえる白い壁に、穴にいるわたしの姿を重ねてみる。

穴を掘り自ら作り出した壁に、もう一度自分の体を強く押し付けてみた。

壁の向こう側で、わたしを押し返す何ものかを、未だ想像出来ないのだろうか。

 

ホワイト・キューブは美学的制度というカギ括弧の中に、作品を挿入するひとつの仕組みである。

しかしわたしの絵を支えているこの壁は、わたしと対峙する明確な理由を、実は示してはいない。

制度的リアリティーの脆弱さは、わたしの表現とも同様に関わっている。

 

わたしが立っている大地に、シャベルを突き立てる。

ここでの大地というモチーフは、自らの出自や表現媒体に見立てられたものである。

掘るという行為は、表現することの原初的な発生段階と重なる。

わたしが依って立つ場所。

 

その場所を探索する試みである。

 

Excerpt from “A Hole for a Landscape, and a Smell of a Hole”

Tomohiro Masuda, Curator of the National Museum of Modern Art, Tokyo

 

For this exhibition, Tomohito Ishii presented a video art that documented his “hole digging” performance at an empty land in Tama Newtown(1), where he was born and raised. Tama Newtown is the largest housing project in Japan that aimed to construct a residential complex at the outskirts of Tokyo. However, the project was abruptly discontinued during the middle of the construction phase, leaving a portion of the territory unattended for decades. Produced by mixture of dirt and concrete, the thick surface layer of this artificial ground is extremely solid and impenetrable. Each time Ishii forcefully dug the earth with a shovel, a sense of futility accompanied the shrill sound of metallic clank. One felt the sense of futility because the developed land conceals the ancient memory that the region is known to preserve. When the sea level rose during the Holocene glacial retreat, the Tama hillside remained a dry and resourceful land for the prehistoric culture of the Jōmon period (12,000 BC – 300 BC) to flourish. Since archaeologists have discovered numerous ancient remains, Tama has been acknowledged as a historical site that stores the memories and spirit of the antiquity. However, the landscape in which Ishii physically and painstakingly engaged himself was artificially constructed by piling up soil, dirt, and concrete, layer upon layer. One may dig in, but no relic of old or recent past can possibly come out from such barren earth.

 

After he laboriously dug a reasonable depth, Ishii threw himself naked into the hole. Similar to many of the residents of the Tama Newtown, Ishii’s family was originally an outsider to this neighborhood. Although Ishii was born in Tama, he cannot feel a strong bond to the local community. Therefore, the fertility of “hole digging” and the ludicrousness of the naked body in this artificial landscape, which his video work represents, is the portrait of the artist, the residents of the Newtown, and perhaps of modern human, who’s existence is alienated from the memory of region. For the residents of the Newtown, Tama’s original and primordial scenery is no longer accessible, because it is buried beneath the Sanrio Puroland(2) Theme Park and other commercial infrastructures. Or perhaps we can argue that the Theme Park has become the region’s original scenery. People who can criticize this alteration as terrifying are blessed because they have a home to return – a home that is isolated from the suburban shopping mall and the touristy sites of the old town; home that are free from the capitalist society in which any criticism against the spectacle is no longer effective. Or they are blessed because they are unaware about such state of our contemporary society.

 

…..

 

The sense of hope and despair was already recognizable in the photographic image of weeds that Ishii displayed in the exhibition Railroad Siding(3) that was held last summer. The photography captured weeds that grew at the empty land of Tama Newtown, where Ishii performed his “hole digging.” It’s earth, which is mixed with gravel and cement, was thought to be too barren for any type of vegetation to grow. However, after his performance the soil turned soft enough for the plant to sprout. The image of this nameless grass seemed extremely bright to me. I wonder how high and rampant the plant would grow, especially after it has inhaled the odor of the hole. Or rather, now that we have dug the hole on the ground, it became our mission to make a flower bloom. Like the protagonist of Haruki Murakami’s The Wind-Up Bird Chronicle(4), we now have a strange blue mark on our cheek.

 

 

 

(1)Tama New Town Project – the largest residential housing development in Japan, which was launched in the 1960s. The development involved a massive land reclamation that destroyed old settlements and villages. In 1971, the first population moved in to the newly built residential complexes.

 

(2)Sanrio Puroland – an indoors themed park that opened in Tama New Town in 1990. Puroland is known for its attractions, events, and merchandise that use popular Japanese characters such as Hello Kitty. The park is often compared with Disney Land.

 

(3)A Railroad Siding ― a biennale format independent exhibition organized in 2015 by artists and critics.

 

 

(4)The Wind-Up Bird Chronicle – a 1994 novel written by Haruki Murakami. An empty well appears throughout the story as a symbolic motif. More than a structure to withdraw underground water, the deep hole represents an imaginative channel that connects life and afterlife, past and present, Japan and China. The protagonist’s cheek is bruised after he enters and passes through the well.

 

 

「風景のための穴と穴の匂い」 より抜粋

 

桝田倫広

 

ー前略ー

 

石井は、自身が生まれ育った多摩ニュータウンの空き地で穴を掘った映像を展示した。団地を建設するために盛土され、結果、そのまま何十年も放置されることとなった空き地の土はコンクリートや土砂が混じり、このうえなく固く、地面に突きたてるスコップは鋭い金属音をたてる。掘削からは無機質な徒労感が伝わってくる。というのも縄文海進時でさえ陸地だった多摩丘陵は、縄文時代の遺跡が多数発掘されているように、古代の記憶に満ちているが、彼がスコップを突きたてる大地は、そのうえに無造作に土砂の積み固められた造成地である。どこからやってきたかさえ知れない盛土によって固められた高台を掘ったところで、古代どころか近過去の遺物さえ出てこない。それでも石井は、苦労して掘った穴がそれなりの深さに達したあと、おもむろに裸になり自らの身体を穴のなかに投げ入れる。しかしそれもまた著しく無意味なことだろう。多くの多摩ニュータウン在住者と同じように、石井の一族は決してこの地で生まれたわけではない。同地で生まれはしたものの、石井はここに地縁がない。この映像のなかで展開される石井の穴掘りの不毛さや、無機質な風景のなかで晒される裸体の滑稽さは、そうした土地の記憶とは一切無縁である石井の、あるいはニュータウン在住者の、いや、こういってよければ現代人の姿を象徴している。ニュータウンに住む、ぼくらの帰るべき原風景は当の昔に、ピューロランドの下に消えてしまった。むしろピューロランドそのものなのだと言ってしかるべきかもしれない。そのことをおぞましいと否定できる人間は、とても幸せである。なぜならその彼(女)は、郊外のショッピングモールや、もはや観光地化された下町以外に、言い換えれば、最早スペクタクルという批判が無力であるほどに一分の隙もなく資本に浸された地から隔絶したところに帰るべき故郷を持っているか、あるいはそんな現代の状況に気付いていないだけなのだから。

 

ー中略ー

 

それでも希望 、あるいは絶望は、昨年の夏、石井が引込線の展示の際に提出した雑草を撮ったイメージに徴候的に表れていた。その写真はかつて彼が多摩ニュータウンに掘り、そして埋めた穴の跡地とそこから映え出した雑草を写したものだ。砂利混じりの不毛な大地のなか、穴の跡地、つまり掘り返されて土が柔らかくなった部分にだけ、雑草が生え始めたのだった。その名もなき雑草の姿は、私の目にはとても眩しく見えた。穴の匂いを吸いこんだ雑草は、これからどこまで高く伸びるか、どこまで茂ることができるのか。というよりも、穴を掘りおこしてしまった以上、そこに花を咲かせることが私たちの使命となった。『ねじまき鳥クロニクル』の主人公のように、私たちの頬にはあざができてしまったのだ。

 

 

「わたしの穴 美術の穴」展覧会カタログ    2016年

 

 

 

 

Excerpt from “The Distortion of the Hole, I Tumble Down – at the Hillside”

Tomohito Ishii

 

The spatial vacancy and the topology of a hole reminded me of a particular motif. And this topology seems to be the main motivation for me to visit and perform “hole digging” at this specific site. I associate the spatial properties of a hole with a motif of a potted plant. While a pot strongly suggests the constraints of artificial space, it also shows the functional capacity to internalize every possible materials or substances. The uniqueness of a pot is that it transforms plants, a static living organism rooted in a ground, into something transferable and mobile. And this mobility is guaranteed by the closedness of the pot. What fascinates me most by associating the motifs of a hole and flowerpot is their shared topology of discontinuity and continuity generated by the emptiness of space.

Sometime ago I became strongly interested in ordinary houseplants that are cultivated and displayed in pots, whether they are situated indoors or outdoors. Observing these plants that are displaced from nature and transplanted in people’s dwelling environment made me feel that something significant was occurring. I felt that these plants were the alter egos of the people who inhabit the same space. 

The association between hole and pot suggested a hypothesis that our human lives are also grown and nurtured in an arbitrary closed environment. In other words, because people were deliberately transplanted in this artificial space of Tama hillside, our existence and human agency cannot neglect people’s arbitrary intentions. I assume that this is the reason that I cannot take my eyes away from houseplants. Pots represent another form of artificial orifice that can contain anything; a potted plant symbolizes our human lives that have been transplanted into a different space.

 

「 穴のねじれ、転がり落ちるわたしー丘陵にて」より抜粋 
石井友人
ーところで、穴は空虚さに満たされたその空間性によって、トポロジカルにあるモチーフを連想をさせた。そして、そのトポロジーはわたしがこの場所に向かい、穴を穿つ根源的な動機を示唆しているようにも思う。それは鉢植えの植物についての連想である。鉢は人為的な空間の限定性とその潜在的な充填可能性をわたしに強く感じさせるものだ。その特性は地面に根付いている植物たちを人為的に移動可能なものにする。そして、その移動可能性は鉢の閉鎖性により常に担保されている。わたしが 穴と鉢の連想において、何よりも惹かれたのはこの空虚さが生む、断絶と接続のトポロジーだったように思う。
ある時期からわたしは日常的に見かける鉢植えの植物に、室内・室外といった置かれた環境を問わず、興味を抱いていた。周りの環境から切り離されて人間の住環境に組み込まれている姿は、それだけで何か特別のことが起きているようだった。それはそこに住まう人々の分身として何か人格を持っているようでもあり、わたし自身の姿が形を変えてそこにあるようにも感じられた。
わたしが植物と鉢の連想の中で感じたのは、そもそもわたしの生というものが、このような恣意的な閉鎖性を帯びながら生成されたものではなかったのか、という一つの仮定だ。つまり、この丘陵という場所に、人間の営みが人工的に移植された際、生を受けたわたしの存在というものは、その恣意的な人間の強い思惑というものを結局無視できないだろう。おそらくわたしが鉢植えの植物から、一時も目を反らすことができないのは、このような視点においてなのだろう。鉢とは人工的な穴の持つ充填可能性であり、鉢植えとは移植を計画されたわたしの写し鏡だったに違いない。ー
「わたしの穴 美術の穴」展覧会カタログ、2016年

Pandemonium

 

石井友人

 

昨年、世田谷にオープンしたアーティスト・ラン・スペースXYZ collectiveの同世代のディレクターから、共同で展覧会を立ち上げないかと声をかけて貰う機会があった。毎日毎日、美術作品の制作に明け暮れていた私は、自身の制作における純粋な動機・批評精神をもとに、純然たるシンパシーを常日頃から感じ続けていた作家や書き手と共に、新たな美学的視座を孕む、絵画的可能性を問いかけるような展覧会を組織しようと決意した。それは、ひとつのユートピア的な空間を形成していく作業に思えた。

 しかし正直に言えば、数カ月にも及ぶ企画参加者とのメールでの熾烈な話し合いの中で、当初私が掲げていたメッセージは錐揉み状に叩きつぶされ、もはや雲散霧消してしまい、作家・書き手共に生な姿としてお互い立ち現われているに過ぎず、展覧会場にはある種の破綻として、沈黙としてただ作品があるだけなのかもしれない。

 現在それにもかかわらず、作家と書き手の間では独自の往復書簡が横行し、私自身も名付けようのない異様な情熱が展覧会をつき動かし始めている。このようなやり取りは、展覧会と併せて発行される冊子の中に見出すことが出来るだろう。以下の文章はそのような往復運動から生まれたものとして特筆しておきたい。

 

 ―明確な意図を持たないつぶやきや独白が、偶々誰かの耳に届き、その人の心を揺り動かすこともあるように、私とあなたとの間にある甚だ不透明な関係性をブラックボックスそのものとして、扱ってみること。

 それは物質とイメージとの間にある影のような何か。見ることもできず、手触りもない、それでも日々の営みを駆動する、至って素朴で、時代錯誤な剰余物。いかに世界が、あるいは私を形成する他者の欲望が、どんなに資本と消費の原理に塗れていたとしても、囲いこんでおきたい、あるいは囲いこまなければいけない何か。到底共感できないにもかかわらず、常にあなたに差し出され贈与されうる、私ならぬ私の残りもの。いわばこの存在ならぬ存在を、言葉ではなく、会場で、作品間のハレーションによって現出させられること―

 

あなたはその目撃者である。

 

「Pandemonium」プレスリリース 2012年

 

 

 

 

イメージの振り子ー非視覚的な再現=表象

 

森啓輔

 

イマージュという言葉は評判が悪い。

M.メルロ=ポンティの生前、最後に出版された論考である「眼と精神」は、1961年に『アール・ドゥ・フランス』誌第一号に掲載された。そこでメルロ=ポンティは、イマージュの評判の悪さをあげつらうのだが、別の場所ではまた観察不可能性から。そこに「一種の本質的な欺瞞」さえ見出している。少なからずこの否定的な態度が、『想像力の問題』を著したJ=P.サルトルに向けられていたことを差し引いたとしても、「イメージの時代」が強調された1960年代において、イマージュは人々を虜にしながら、同時にその概念の不確かさゆえにいっそう多くの人々を困惑させたと言える。そして、それから半世紀を経た今、イマージュはシュミュラークルへと接ぎ木され、変質を果たすことで、その指示作用の機能不全はより蓋然的となり、もはや形骸化してしまったとさえ言えるだろう。

それでも本展「Pandemonium」の出展者は、絵画でのイマージュの作用について、いくらか肯定的な身振りを演じているかのように錯覚される。例えば、三原色の筆触分割により多重化した植物を描く石井友人や、ラファエル・コラン<花月(フロレアル)>(1886)の図像を、自身の裸体像と取り巻く生活空間によって代理=表象する梅津庸一のように、写真や作品図版といった既製の図像が用いられながら、それらがポイエーシスの中に複雑に組み合わされている。作家間に見られるこの構造的差異からは、絵画による世界の再現=表象において、世界そのものが共約不可能な状態にまだ微分化されていると指摘できそうだが、この時メルロ=ポンティが「眼と精神」のなかでヘラクレイトスの言葉を引用し、それぞれの世界が視覚によって共同の世界へ開かれると述べた事態は、決して生起しえない。そもそも、そこでは共同の世界への開かれの可能性は視覚にこそ担保されており、かつ肉眼をもつ私たちは特権的な<世界の測定者>として定義されていた。しかし、本展において石井が「私とあなたの間」を「ブラックボックス」として解釈しようとする欲望は石井の描く画面のごとく分割された世界像がアプリオリに設計されており、そのような光を遮る箱の内奥へと導かれていく視覚そのものに懐疑の眼差しが向けられている。

このイマージュが表象の手段に用いられながら、根源的には視覚の排除という欲望が潜在していることを、私たちはどのように理解するべきであろう。あるいはこの問いは、次のように言い換えてみてもいいだろう。視覚の断絶による再現=表象の不可能性に直面するとき、絵画は何を表象しうるのだろう、と。この問いにたいして、本展の作家が用いるイマージュの指示対象の決定不全性は、一つの手がかりとなりえるかもしれない。田口和奈の作品にみられる人物のように、そこではイマージュの不特定性、多数性によって、国籍や性別、年齢といった元来人物が備えうる情報が剥奪され、匿名的であるがゆえに現前と不在の間を常に揺れ動いている。さらにこのことに加え、本展の作家の多くが写真というメディアを絵画の制作行為の中に、あたかも存在を担保する証として内在化していることもしておくべきであろう。田口の作品にみられるような撮影する/描くという制作の重層性は、ここでもまた現前/不在の項を揺さぶり続ける。

このような現前と不在の明滅について、ジャック・ランシエールは「表象不可能なものがあるかどうか」という、まさしく論文名が指し示すとおりに、表象不可能な条件下での概念的形象の可能性を模索している。そこでは崇高と芸術の関係のように、その体制や諸条件が問題とされ、表象されるべき対象の本質的現前の不可能性や、あるいは対象の代理物の喪失について、また「意味と非意味の一致」と「現前と不在の一致」が同時に生起する場における表象的な調整の失墜が語られている。さらに、ロベール・アンテルムの『人類』のエクリチュールに、強制収容所での体験としての「小さな知覚の並列的な連鎖」を見出しているのだが、ランシエール自身も並列的なエクリチュールが特殊な体験から生まれることに留意しているように、イマージュの失調によって顕示や意味作用が希薄化した絵画にこそ、その連鎖は転移されるべきではないだろうか。

絵画の筆致にみられるポイエーシスとしての小さな行為と小さな知覚の連鎖について、今一度メルロ=ポンティの思考に立ち戻ることが許されるならば、そこでは「見える世界」と「私の運動的企投の世界」が、同一の存在の全体を覆うものとして措定されていた。だからこそ絵画で表象される画像には、身体的運動が「瞬間的視象」となって、痕跡のうちにその持続が内包されることとなる。しかし、絵画が他者との了解不可能性によって、世界の再現=表象が脅かされ非視覚的なイマージュとして表象されるならば、メルロ=ポンティがいうような等質的な<身体の時間的偏在性>は、小さな知覚によって不可逆的な断片化がなされることだろう。そのとき、絵画の画面に描かれた対象は、動きの瞬間的な視象ではなく、むしろ多重性を孕んだ存在の視象となって表象されている。現前と不在の一致がもたらす多重的なイマージュは、芸術の不能に対する絵画の存在論的な問いかけとして、非視覚的に再現=表象される絵画そのものに宿るのだ。

 

 「Pandemonium」展覧会冊子 2012年

 

 

 

「from/to #3」WAKO WORKS OF ART

 

高島雄一郎

 

同ギャラリーが、若手を紹介するために昨年から開催している企画の第3回。その一室で、石井友人の4点の作品が拮抗していた。

端正な空間の白壁それぞれに一点ずつ絵画が掛けられている。一方は鬱蒼と茂る雑木林を彩る桜と空が描かれた作品。他方で、ハレーションともノイズともつかない、縦横に走る鮮烈な色彩が敏活に描かれ、奥行きというよりは広がりを感じさせる作品。大きさこそことなれどこの2点はいわば二連画であり、よく観ると同主題の対解釈であることが判る。

つまり、前者は、作家が自らが撮影した写真を忠実に再現する意図で制作されており。その筆致は薄く滑らかで、あまたの色彩が織り混ざり、穏静かつ荘厳な佇まいを醸している。これは石井が自ら世界をどのように認識しているかを知るために描かれた。そのタッチの一つごとに、彼は自らが「描く」「見る」という所為を強く感じるのだ。現実に拘束されることによって、作者はこの世界における自己の在り方を反芻する。

ならば後者は、彼がどのように世界を表出するのか、という問題に関わっているだろう。こちらは垂直線と水平線の潔い筆致が幾重にもなり、そこで行き交う色彩は前述の作品とは別の基準をもとに対象を再構成している。一方で緻密に描かれていた対象はここでは捩じ曲げられ、私的感情を一層内包しながら、その情報量の多さかにフリーズした画面のようだ。

よって、この二連画は、彼自身の内/外に関する知覚を表裏一体となって現している。これは、彼がタイトルに「信号 Signal」と付すことからも窺える。これは「パソコンにおけるデータ」という意味合いで引用されているそうだが、シグナルとはそうした単なる電気的波形のみならず、絵画を描く際の契機をも意味するのだろう。自我と他我とを結び得る符号としての作品。そんな、彼の作品は、絵画を描くという本意すらも超え、我々が世界を認識するという所為がどういうことなのか教えてくれる。

 

美術手帳「Gallery reviews」2005年