「わたしの穴」
わたしの家のお手洗いのドアにはブルース・ナウマンの「Body Pressure」のインストラクションが貼ってある。
ナウマンは「できる限り強く壁に体を押し付けてみろ」と言っている。
正直に言うと、もはやわたしは壁にリアリティを感じない。
目に見えて対峙できる壁などわたしの前にはない。
水の中にいるみたいに、皮膚は全方向から圧力を受けている。
わたしの体はすでに全包囲されている。
穴を掘ろうと思った。
穴はわたしが立っているこの場所にあけられている。
そこでは風も吹かない。
わたしの呼吸がよく聞こえる。
意識の下の方にはきっと同じような穴が続いている。
その場所へ少しだけ帰るのだ。
「美術の穴」
美術というフィールドにそびえる白い壁に、穴にいるわたしの姿を重ねてみる。
穴を掘り自ら作り出した壁に、もう一度自分の体を強く押し付けてみた。
壁の向こう側で、わたしを押し返す何ものかを、未だ想像出来ないのだろうか。
ホワイト・キューブは美学的制度というカギ括弧の中に、作品を挿入するひとつの仕組みである。
しかしわたしの絵を支えているこの壁は、わたしと対峙する明確な理由を、実は示してはいない。
制度的リアリティーの脆弱さは、わたしの表現とも同様に関わっている。
わたしが立っている大地に、シャベルを突き立てる。
ここでの大地というモチーフは、自らの出自や表現媒体に見立てられたものである。
掘るという行為は、表現することの原初的な発生段階と重なる。
わたしが依って立つ場所。
その場所を探索する試みである。
"My hole, Art of hole"
@ Space23℃, 2015
Photo by Takuma Ishikawa